岡田斗司夫ショック?

2015.01.11(Sun)

新年早々、おもしろ記事が俺のタブレットに舞い込んできた。
以前からけっこう好きでこのブログでも何度か取り上げた岡田斗司夫(敬称略)が、
ネット上リアルタイム痴話喧嘩に巻き込まれていたのだ。


岡田斗司夫っていえば、普通にオタキングのことなわけですが、ニコニコ生放送などでは「俺ら非モテは~」っていう枕詞みたいなのをずいぶん使う人で、
それだけ聞けば「ふむ、この人は俺のような30超えて素人童貞でリアル女と付き合ったことなような人間の味方なのかな」と思えるけど、
実際には娘持ちで離婚歴あるし、彼が書いてる恋愛本読んでみると、なんだか非リアの発想には思えなかったんだよね。
非リアなら多分、本田透の方に行くと思うんだなあ(偏見)。俺は本田さんの方が好き(女性を敵視し過ぎるとは思うけど、そこは俺の方に良好な家族関係があったし、いじめも経験してないから、本田さんのように女性を恨まなくて済んだだけかもしれないと思っている)。
元々いろんな方面から相当な性豪というか、女好き的な話は聞こえてきて、俺はそういうのを別に嫌悪などせず、「面白いなあ」って思ってた。
だって離婚してるし、赤の他人だし、元々アブノーマルな生き様を商売にしてるわけだから。
そうなると、ただ好き嫌いの話じゃんって。嫌いな人は見なければ良いし、好きな人は追っかければいい。
俺は追っかけてたわけ。俺もアブノーマルな生き方してるから、いい刺激になってた。


で、今回の炎上だけど。
なんか、俺的には、岡田を責めてる人たちがちょっと落ち着くべきかなあって思う。
感情的に嫌悪するのは分かるけどね。ただ、赤の他人が今回の件を怒るっていうのは、あんまりスジが通ってないかなあと。
まず、最初に流出したのは、岡田と愛人のキス写真と、愛人の「別れたくないけど、一方的に捨てられた!それに、岡田には私意外にたくさん愛人います!みんな騙されないで!」みたいな、リアル恋愛にありがちなバカ話なわけですけど、これって、岡田のどこが悪いんですかね。
もちろん、二股三股かけるのはリアル恋愛のご法度だと思いますし、俺なら絶対やらない(かもしれない、の前に付き合えない)ですけど、
まあこの女それ知ってて付き合ってたんでしょ。今回の件に関しては、冷たく言えば(本心だけど)「知るか」って感じなんですよね。
あとは、俺的に気になる点は無いですわな。
むしろ、「そんな酷い男と縁切れて良かったジャン?」って思う。
少なくとも、今回のようにネットでリベンジポルノばりのことをやっていい正当性は見受けられない、と思う。

もしこれが、「岡田っていう男と付き合ってたんだけど、私を騙して二股かけられてた!頭に来て別れようって言ったんだけど、あの手この手で別れられないように私を脅してくる! 誰かこのストーカー男から私を助けて!」
ということなら、写真を晒してでも岡田の邪悪さと自分の危機を皆に知らせたい、ということでスジは立つんですけどね。
最初はむしろ逆で、「別れたくない!」って感じだったからなあ…。単純に、メンタルヘルスな女が昼ドラ的な復讐をしたかっただけなんじゃ?
岡田もとんだリスク女に手を出して、危機状況に追い込まれてしまったなあ。
いくら地位と金があったとしても、3次元での火遊びはほどほどにね。
まあ正直、リアル恋愛で誰が不幸になろうが、死のうが、だってそういうもんだろう、って俺は思ってるわけですけど(2次元で満足するのが良いって仏陀も言ってる気がする)、
俺は別に、堂々としている分には、岡田が悪いとも、女の方が絶対におかしいとも、言いません。
ただ、3次元はクソ、とだけ思っています。


今回の件があって、俺の中の岡田斗司夫像のようなものが崩れるかと言ったら、ほとんど影響ありません。
だって、元々変な人だったでしょw これまで彼が語ってきた生き方とたいして矛盾するわけでもない(と俺は思う)。
『良い人戦略』とか、『世界征服は可能か?』とか、どう考えても性格悪い人が考える話ですよw

それでも全くダメージが無いわけではない。
騒動の最初に「ニセ写真で~す」とごまかしてしまったところ、ここで俺の中の岡田に対する“信頼”は大きく崩れた。
“信頼”っていうのは、あくまで彼の生き方に対する姿勢の部分。
アブノーマルな生き方を正々堂々とやっていく、自分をサンプルに思想を現実にする。
その部分においては本気でやっているんだと思ってたけど、「言い訳」めいたことを言ってごまかしてしまったところに、「な~んだ普通にカッコ悪いじゃん」って思えてしまった。
例えれば、斎藤環氏に、「前から実は思ってたけど、やっぱ引きこもりってダメだと思うわ」って言われてしまったような、そんな幻滅。
俺的にはあの時、「あの写真、もちろんホンモノです。お騒がせしていますが、彼女のことは私が考えている次の時代の社会と関連して、とっくりニコ生で語りたいと思います」とかだったら、「やっぱ岡田はすげえw 宗教w 思ってても言わねぇしやらねえw」って思えたんだけどなあ。
“ニセ写真”騒動の後だと、全く同じこと語っても全部保身の言い訳にしか聞こえなくなっちゃうんだよね。
結局岡田も、地球に魂を縛られた人たちと何も変わらないのだなあ、などと自分勝手に思ってみたり。
ポロッと出た“弱さ”って、ある意味人間的で良いとも思うけど。普段強そうに振る舞ってるから、そういう意味では少し見なおした。


でもきっとこんなピンチだからこそ、岡田さんの最高に冴えた理屈が爆発して、俺らをあっと言わせてくれるんじゃないかな、
などと今夜のニコ生にかつてない期待をしている俺がいるのであったww

スポンサーサイト

今日も乗ってきた。 『サイレントヒル・リベレーション』

2014.08.04(Mon)

今日は日曜日だから乗ってる人多いかなあ、って期待してたものの、時間がちょっと遅かったのもあって大したことはなかった。
帰り道に5人くらいでかっ飛ばしていく集団を見たくらいが休日っぽくて、後は普通。
登りはいつもより早めに切り上げた。
行こうと思えば行けるんだけど、頑張り過ぎて嫌なイメージを持つのも嫌だし、若いころと違ってというか、(自分に)それほど結果を求められているわけじゃないのだから、ゆっくりと時間をかけて攻略していけば良いと思う。
経験上なんとなく分かっているんだけど、頑張って一気に攻略しても、その後が続かない。
ちょっとずつ無理なくやれる範囲で距離を伸ばしていくっていうのを続けていく。その方が今は良いかなと。
正直、降りる時は悔しいんだけどね。やりきった!っていう満足感より、もうちょいっていう不足感の方が、俺の場合次へのモチベーションになる。
実際、今日ピタピタのパンツ履いてる時、「あれ、筋肉固くなったなあ」っていう変化を感じたし、1週間前より2キロ痩せたし。
少しずつ変化は出ているようだ。


『サイレントヒル・リベレーション』っていう、ホラー映画が無料でやってたんで視聴。
俺はゲームの『サイレントヒル』が大好きで、その線から1作目の映画も見た。1作目は主として、俺の好きなゲームの1と2をベースにしたシナリオで、音楽などはほぼ原作からとってきていて(主に2)、元々素晴らしい原作だったこともあってか、凄惨過ぎるシーンがあること以外はけっこう良かったと思う(そういう作品なのは分かるが俺が苦手)。
それでもやっぱり、原作よりは落ちるって思いますけど、それは仕方ないんだろうなあ。2時間未満だし、3次元だし。
今回の続編はどうかっていうと、俺的には1より下ですね。ゲームの3がかなり下地になっているんだろうけども、原作的にも1,2ほどのインパクトは無かったのもあるのかもだし、映画的にも前作でほぼ出尽くしてる感じだったんだよねえ。
新しい驚きが無いっていうか。アニメで言えば、好評だったからなんとなく作ったOVAって感じ。
あと今回見てて思ったけど、原作ゲームの抽象的な世界が、特に今回の映画ではかなり薄められてしまうというか、そこが残念でした。
原作ゲームの場合、シナリオだけではない色んな厚みがあって語るのがかなり大変なんですよね。それが今回の映画だと、カルト宗教の悪とか、そんな陳腐で具体的なポイントに矮小化されてしまっている気がした。そんなに簡単な世界では無いはずなんですよねえ。前作の映画ではもう少し頑張ってた気がしたんだけどなあ。
とはいえ、日本で映画化されるよりは良いんだろうけどね。このゲームはハリウッドで正解ですよな。
しかしゲームの方は、日本スタッフが離れちゃった後の『サイレントヒル』は俺的に全然面白く無いんだよねえ、なんでこうねじれちゃってるんだろうw
原作ゲームは日本人が良い、映画はアメリカ人が良いっていう、不思議なコンテンツです。
主人公のヘザーのカップル役みたいな感じで出てたチャラい男、ヴィンセントっていう名前になんとなく引っかかりがあったんだけど、全然違う役割とキャラでゲームの3にいたねそういや。この映画に重みが無いのは、思い出すこともできないくらいにこやつのキャラを変更してしまったからっていうのもある気が。
この映画に限ったことでもないんだけど、作品のテーマ的なもの考えたらヴィンセントのキャラ変えてまでロマンス必要だったかね。原作にもないわけだし、あと俺3次元の安い恋愛なんてどうでも良いし(少数意見)。
もしこのまま作品続けていくと、ひょっとしたら『バイオハザード』と同じ方に変化していったりしてね。


ちょっと余裕ができたんで、まだ見たことがないガンダム00でも行こうかなって思っている。
あとニコニコ動画でるろ剣の一挙やってるらしいからそれも見るかも。
スラダンもやるらしいよね……。

自転車乗ったり、アニメ見たり。

2014.08.03(Sun)

前回のブログの後、本当に自転車乗りました。
いやはや、山なんか登れるわけないと思って苦しかったら早めに切り上げようと思ってたんだけど、実際けっこう登れた。
心肺機能などボロボロだと思ってんたんだけどなあ。むしろ筋力の方が足引っ張ってた気がする。
一昨年だかにヒルクライムした時とは逆のパターンかも。
足のダルさは一発でとれました。
kako-gMiXzlN1YQQy1RFN.jpg
それから3日に一回くらいのペースで自転車に乗っている。
お盆までには頂上っていうか、いつも目標にしているところまで行きたいと思ってるんだけど、ちょっと自信は無い。
普通に1ヶ月くらいは猶予が欲しい感じだなあ。それくらい続くかどうかも問題だしw

自転車って、みんな思ってると思うけどやっぱり変人っぽいですよね。
ロードバイク自体が普通と違って大仰だし、ピタピタの服が変態チックだし、あとは穴だらけのヘルメットにサングラスでロボットみたいな感じだし。
なんか見られてるんだろうなあ、悪目立ちしてるんだろうなあ、邪魔かなあ、みたいな申し訳なさ、疎外感が自転車乗りたちにはあると思う。
そんなだから“民族”みたいな意識が出てくるのか、対向車線などに他のロードバイク乗りが現れると、かなりの確率で親しげに挨拶される。
普段だったらそういうのが苦手な俺ですら、自転車乗りを見かけるとなんか嬉しくなってちょっと挨拶したくなるのだ。
こういうのってオートバイの世界とか、バスの運転手同士なんかでも見かけることがあるけど、なんらかの連帯感なんだろうね。
以前自転車にバックをつけて旅行した時など、通りかかった自衛隊の方に笑顔で手を振られてびっくりしたw 体育会系的な連帯感を感じたのだろうか。
それに、「引きこもり」などといった普段の社会階層的な意識がリセットされるのも面白いですね。
対向車線で挨拶してくる連中も平日昼間に走っているわけで、実際学生なのか、実業団(はいないだろうが)なのか、プラプラ無職なのか、などといったものはどうでも良くて、ただ同じ自転車仲間だ、っていうのが嬉しい。
その替り、どっちが強いか、みたいな世界でもあるんだろうけどねw 俺はあんまり関わりたくないw

昔と比べると、自転車ブームだからか集団走行している人が増えた気がする。
俺は昔から一人で走ってきたし、これからも集団は嫌だし、なんとなく某ビーターの人が思い浮かんだけど、まあ浮かんだだけ。


ガルパンのOVAを見た。バンダイビジュアルで配信しているやつね。
7月はじめくらいに見たんだけど、その後葬式とか色々あって感想を述べる機会を逸した感じ。
ガルパンに早見沙織っていうのが俺的最大の見どころ(え)なんだけども、あとは歴史チームの話だったりとか、キャラ的な面白さがやっぱり素晴らしい。
イタリア戦車についてはもう普通に勝てないって感じだし、本編から省かれるのが納得というか。たぶん対戦校の中で最弱でしょう。八九式が存分に活躍(泣)
最後に、本編との辻褄合わせに酷いオチを用意してて面白かったですw
配信を見るのに1000円かかるってところがそれなりにハードルが高いわけだが、映画館に行けば(俺の街ではそもそも上映していない)もっととられるし、DVD買えばそれどろじゃなく高いわけで。
ガルパン好きなら損はしない。それほど期待してなければレンタル待っても良い、って感じだと思う。
あと、近日中に『思い出のマーニー』を見に行きたいって思ってる。ジブリで百合百合しいとか、実に良いじゃないか。

「正常」と「異常」の間 ~昨今の異常事件から考える~

2014.07.29(Tue)

近頃、高学歴ロリコンおっさんの監禁事件とか、JKによる快楽殺人(まだ動機がはっきりしないけど)のようなものとか色々マスコミを騒がせているみたいなので、ちょっとこれらの「異常」について考えてみようと思う。
何より、これらの事件の最初の報道で「美少女アニメのポスター」、「アニメファン繋がりの友人」、「無職・引きこもり」のようなワードが相変わらず出てくるんで、その辺と絡めて。


こういう事件が起きると、俺の強迫観念持ちの友人なんかは「自分もやるのではないか?」と怖くなると言うのだが、実際多くの人がそのような恐怖を感じたり思ったりしたことはあるのではないだろうか。(そう思ったことがない人には、この文章のほとんどは理解不能だと思うので、読まないほうがいいかも)
もちろん、俺だって自分が「殺人者」になるかもしれないという可能性を、完全には排除していない。
いや、軽く人と会話する時ならもちろん、「まさか、俺もあなたも殺人なんかするわけないよね」って言うけどさ。
でもちょっと考えてみると、「自分は生涯何があっても人を殺さないし、本気で殺したいと思うことはない」なんてなかなか簡単には言えない気がしてくる。


殺人事件に限って考えてみよう。
たいていこういう場合、「無職」、「非正規雇用」、「引きこもり」、「アニメ好き」などなど、犯人の人物像として色々マスコミで報道されるわけだけど、これらはだいたい「事実」なのだろう(全くデマの場合もあるけど)。
それに対して、例えばある人は、「やっぱりね」とか、「俺ももしかして殺人とか犯してしまうのだろうか」とか思ったりするだろうし、ある人は「またマスゴミの偏向報道!」とか怒ったりする。
こういう議論を積み重ねていくと、結局大多数の人が大体納得できるところに落ち着いていく。
即ち、「人を殺したりレイプしたりする人は、無職やアニメ好きの前に、生まれつきとか、生育環境の中で犯罪者的パーソナリティを獲得していて、その“異常”さこそが原因なのだ。職とか趣味とかは関係はない」という理屈だ。
この理屈に従うと、結局、

・人を殺す人=元々人殺しという異常
・人を殺さない人=ずっと正常

というシンプルな“真実”を見出すことになる。
「異常で人を殺す人」と、「正常で人を殺さない人」は、はっきり区別される。
んん?と思われる人もいると思うが、それでもこの“真実”は、意外に大きな支持を受けることとなる。
非常にわかりやすく、また何人においてもある種の“受け入れやすさ”をもった、便利な概念だとは思う。


実際、俺自身が自分の中にある“感覚”みたいなものを素直に考えてみると、例えば、「人を殺してみたい」、「人の死体を見たい」、「人を解剖したい」、「将来の嫁計画として可愛い女性を監禁したい」とかっていうものは、なんとなく「分かる」に入る。
自分が実際そういう趣味なわけじゃなくてねw そういう欲望が人に沸き起こる、それ自体は普通に「分かる」。
例えば、『GTA』のようなゲームでは、誰もが一度は歩道を歩いている人を「ただしてみたくて」轢き殺し、ロケットランチャーを人にぶっ放し、世界で最も高いビルから飛び降り自殺してみる。
言葉で書くと物騒だけど、やってみるとそうでもない。しょせんゲームの中だから、何の気兼ねもなくそのような「遊び」ができる。
そんな欲望が多くの人の中にあるからこそ、多くの小説、ドラマ、映画、アニメ、ゲームといった娯楽が、大衆の中に成立しているわけだ。
それが誰の感性にも響かない一人よがりな”趣味”だとするなら、それらの表現物は支持されたり、損益分岐点を超えて商売として成立するわけがないのだ。(俺も昔『虜』っていうゲームを「面白い」と思ってやってたことあります。犯罪したら絶対言われますし、変態ですみません)
しかし俺の中で、「実際、人を殺す」、「実際、人を解剖する」、「実際、人を監禁する」という、この“実際”というレベルになると、全くわからなくなる。ココらへんから、俺の中で大きく抑圧されているのだろうと思う。
そのおかげで、この部分においては俺も“正常”なのかな?、なんて本当か勘違いかは分からないが、思えたりもするのだ。
たぶん、この辺の感覚が、さっき上で書いたような区別の根拠になってるんじゃないかな。
現実において犯罪を犯す人というのは、現実においてそういう感性の人なのだ、という簡単な直感。


さて、上で書いたあのシンプル過ぎる「異常」と「正常」の区別へのちょっとした違和感は、どこから来ているんだろうか。
たぶん、あの区分自体は別に否定しなくても良いと思う。若干宗教じみてるけど、普通にそういうものだと思うし。
違和感は客観的に真か偽かというより、「この区別では、自分が“異常”ではなく、間違いなく“正常”であるということを、今時点においては永遠に証明できない」という、自分本位の不安から来るのだと思う。
ちょっと自分で書いてて難しくなったなと思うわけですが、要するに、「この定義では自分が確かに殺人者にならないという証拠にならない」という不安が、ある一定の人々の胸の中にも沸き起こるということである。
そしてこれくらいの曖昧さが実は、「正常」と「異常」という区別の“真実”だと思う。


「人を殺した人は、元々の資質が異常なのだ」、「私はその資質が無いから、人を殺さない」という理屈には、穴がある。
それはどこか。
それは、この理屈では結局その人が人を殺すまで、その人の異常性を見破ることができない、という事実である。
Aという殺人者がいるとする。Aはある日まで人を殺したことがない。その日までAは、「異常」なのか、「正常」なのか、誰にも客観的には区別がつかない。
人を殺した日になって初めて、Aは「異常」であることを発見できる。即ち、Aは元々異常者であったということが分かる。
さてこれでは、今まで人を殺したことがないこのブロクの管理人である俺は、元々異常者であったAと何が違うと言うのだろう?
「資質」を持っていはいるけど、まだそこに至っていない「元々異常者」なのか、それともやっぱり「正常」なのか。
そこを見極めたくて、人はさらに考えようとする。例えば、Aは元々暴力的だったとか、暴力的な映画ばかり見てた、とか。
もし自らも暴力的で暴力的な映画が好きな人間だったなら、さらに考える。Aは定職がなかった。俺にはある。やっぱり仕事の有無だろう、とか。
もし自らも暴力的でそういう映画が好きで仕事が非正規だったりして、さらに言えばロリコンで熟女もわりといけて理系でアイスは蓋の部分も舐めるタイプで箸は左で持つ人だったら、以下エンドレス。
俺j自身は無職でアニメの美少女が好きでフィギュアやポスターとかも飾ってるし、『虜』をはじめ多くの美少女ゲームも面白いと思いながら遊んできたし、GTAやCODのような暴力的なゲームもすごく好きだ。
そういうマスコミが好きそうな要素だけを抜き出せば、俺は実に隙無く殺人犯や監禁犯に近い人物像ということになるだろう。(こればっかりは書いてて実にバカらしいのですがw)


殺人事件の報道を目にした時、一定多数の人たちは「俺と犯人との本質的な違いはあるのか」というような不安を、大なり小なり覚えることもあるものだと思う。(だからこそ、『東京グール』のような作品は書かれるし、文明は発展してきたのだと俺は思う)
そういう不安が自分の中に持ち上がってきた時、人は「自分はこの犯人とは違う」という確かな証拠を求める。
ある意味では、「犯罪者の側」に感情移入しているのだと思う。
もちろん、自分と立場が近い場合被害者の側にも感情移入はするのだろうけど、深刻なPTSDなどを視聴者が発症するほどのような場合でなければ、(対策が立てやすいこともあって)それほど問題にはならない気がする。
犯罪者側と違い、被害者側は「異常」と「正常」の問題を抱えてはいないから。“本質”の問題とはだいぶ離れている。
だから、被害者は犯罪者に比べ、簡単に忘れ去られる。もちろん、被害者の遺族や関係者にとっては一生の傷だろうが。
感情移入先としての需要からか、物語として長く語られやすいのは、たいてい凶悪犯罪者の方なのである。


視聴者が「この犯罪者と自分は違う」という事実を欲している時、それは様々な形で現れるだろう。
上で書いたような属性探し、「無職」、「非正規」、「引きこもり」、「アニメオタク」、「暴力ゲーム愛好家」などといったものは、事実ではあるがそれを超えて拡大解釈されるような、視聴者が見たい「犯罪者像」の一端である。
どの属性にせよ、殺人した人としない人を比較したら、結局は圧倒的にしない人が多いのだから、殺人事件における「正常」と「異常」を分ける決定打にはなりえない。ある種の人にとってはそのように見える、というだけだ。
「アニメオタク」なんて、マスコミが流布するイメージとは逆に、殺人や誘拐のような凶悪犯罪からは程遠い人間の集団だと俺は思いますけどね。DQNやヤンキーの方がはるかに対人トラブルは多いんじゃないですかね(これもレッテル貼りの一種だろうけど、実際統計とれば件数で圧倒的だと思う)。
結局、マスコミで繰り返されるレッテルレベルの話しなら、誰もが自分にはない属性に責任を押し付けたいだけなんだと思う。
アニメって、マスコミの中の人や多くの非オタクたちにとっては、「自分の中にはない」って思える不気味な属性なんだろうなあとつくづく思う。
オタクの本場の日本ならまだ良いほうで、マジで2次元規制して逮捕者も出している国(ヨーロッパの方とか、韓国とか)なんかだともっと凄いだろうと想像できます。


これまで書いてきたことを踏まえると、、結局「正常」と「異常」の境目というのは、言葉では色々言えるわけだけど、実際にはなかなか難しい概念だなあと思う。
「自分はその殺人犯とは違う」という決定的な根拠を、誰も説明できない。俺はしたことがないとか、俺はオタクじゃないとか、俺は猫を殺さない、などとしか言えない気がする。
せいぜいが後付けで「物語」をでっち上げて、つかの間の安心を得るというところでしかない。
誤解されそうなのであえて言うと、俺は殺人者や監禁者のような人をあいまいに肯定はしない。きっぱり否定する。
現実に、そういう人と一緒に暮らしたいとはとても思えないし、そのような「俺にとって不都合な人たち」はずっと刑務所の中にいて欲しい。それは俺の欲望であり、同時に“社会的なコンセンサス”(≠真理)だ。そのおかげで、俺は安心して生活できる。
しかし同時に、俺がその殺人者や監禁者にはならない、といった証拠はどこにもない。
これは俺が「無職」だからとか、「アニメ萌えオタク」だからではなくて、誰もがそうなのだ。
俺の隣にいる人も俺自身も、この人は「正常」だとか「異常」だとか、自分にもあったり無かったりな属性を持ってきて勝手に思い込む以外に方法はない。
暫定的な評価を確かなものにするために、常に自らを証明し続ける。「責任」とはそういうことなのだろうし、だから俺はこの言葉の重さに耐えかねて、なんとなく拒否感をもってしまうのだと思う。


それでまあ、ある種の逃げだとは思うけど、「正常」な人間なんて存在しないんじゃないか、そんなのは幻想なのでは、と俺には結局思えてしまう。
「殺さない確率100%」と「殺す確率100%」の、「正常」と「異常」の人が存在しているのではなくて、その時々のパーソナリティ、環境、そういったものの変化が、各個人の中の確率を常に変動させているような、そんなイメージを持っている。
一人ひとりのパーソナリティは、RPGのステータス表のように無限に細かく要素化されつつ数値化されてて、それをちょっと見たところでその人が「正常」か「異常」かなんてとても判断できない。そこに環境という変数が入ってくる。
個人にせよ、環境にせよ、決定打を挙げるのは難しい。理解はなく、解釈しか無い。
それはもう、きっと誰もが「異常」の端っこに足は乗っているような、そんな世界なんだろうと思う。
誰もが死ぬまで判断を保留されている、そんな不安定な存在なのかもしれない。

好きなことやって生きているなあって思う

2014.07.23(Wed)

しばらく親戚の葬式とかで忙しくて、引きこもりとしてはどうなんだっていう日々でしたが、なんとか乗り切った。
というか、葬式に遺族としてケロッと参加してくるあたり、俺凄いなあ、って思ったり。
なんでこんなことできるかと言えば、俺と俺の家族が、俺をネタじゃなくてマジで責めてないからなんだろう。
もちろん、コミュ障で対人恐怖も強い俺が、立派な人たちに囲まれて平静でいられるわけがなくて、とにかくずっと帰りたかったし、我慢できなくなって便所に避難したりもした(便所飯って本当にあるんだろうなあ)。
それでも参加できてるっていうのが、自分でも不思議だ。
すごくお世話になった人だから、送ってあげたかったっていう強いモチベーションもあったけど、それでもたぶん出れない人は出れないし、無理することは無いと思う。送り方は色々あるだろうしね。
俺は参加するってだけならそれほど無理がかからなかった。ただそれだけです。

それにしても、人は誰もが死ぬんだなあ、と横たわっている顔を見た時、生まれて初めてくらいにリアルに感じた。
俺自身はそれほど長生きする気はしないんだけど(あんまり望んでもいないし)、生きているうちはなるべく悔いの無いように生きたいなあ、と思う。
まあ俺が今生きている理由って、アニメとかだったりするんだけどね。これはわりとマジですね。最近勘違い的に「自分が死ぬかも」っていうシーンに遭遇したりするんだけど、その時に「死にたくない!」っていう理由として出てくるのが、「まだあれも見てないし、将来もっとすごいのが出てくるかもしれないのに、今はまだ嫌だ」っていうねw
自分でも呆れる部分もあるんだけど、それでもまあ強く生きていたいって思う理由があるっていうのは、幸せなことだと思います。
これからもまだしばらくは、好きなことやって生きていきたいと思う。


その好きなことなんだけども、時間は限られてるから何を重点的に配分していくか、っていうのはけっこう大きな問題。
もちろんアニメや漫画といったものは優先的に確保されるものではあるんだけど、それだけだとさすがに飽きるわけで。
なんとなく難しい文章を読みたくなったりして積んでた本を崩してみたり、意味もなく高校の計算問題を解いてみたりとか(現役の頃は全然やらなかったのにw)。
あとは身体をあまりにも動かさないと俺の場合おかしくなってくるので、運動したり。
最近、ちょっと料理も興味出てきてやってたり。
なんかけっこう“普通”なことをやってるなあと思ったりもする。
もちろん俺の中で、社会に復帰するときの準備的なことは間違いなくモチベーションとしてあるのだけど、でも今やっていることで実際に社会で役に立つことはほとんどないし、そういう意味では全くもってやりたいことしかやってない。
単純に、俺が偶然そういう趣味の人間として育ったという、ただそれだけのことでもある。
なんか自分でもよく分からないけど、以前こういうことばかり書いていたら「偉い」と言われたことがあって、まあそういう要素もあるのかもしれないけれど、結局は引きこもりやってるんだから別に偉くはないよ、と言っておきたい。


そんなこんなでアニメとか見てないのかな?って思われたかもしれないが、いやいや、親戚が亡くなろうが葬式があろうがなんだろうが、全部はさすがに無理だけども、なんとか見ているのであった。見ないで生きられるわけがない。
地方住みなので早いとこより1週間~2週間くらい遅れているのだけど、夏は『さばげぶ』が意外に楽しい。『アルドノア・ゼロ』と『残響のテロル』なんかもクールで良いと思うけど、『ごちうさ』のようなふんわり日常系もあると良いなあって思ったり。
『人生』は冒頭でほのめかされているように、『GJ部』のような閉鎖系なんとなくハーレムな感じなのですかな。まあGJ部よりは頻繁に外出するみたいですけどねw
『六畳間』は露骨なハーレム系かな。『るるも』はロリ枠って感じで。『ハナヤマタ』は最初の展開は最高なんだけど、これからかなりシリアスになってくるような話もチラッと見て心配しているw 
『東京グール』と『アカメ』あたりも注目してますし、『サイコパス』も未視聴だったので楽しみ。

あとWiiUの『零』の詳細が発表されると同時に、発売日が9月に決まった。
絶対買うとか言っておいてなんだけど、予想よりあまりにも早すぎてちょっと気持ち的にも財政的にも無理かもしれない。
せめて『零』以外にも良いソフトがあったらなあ。あと買ったところでやる時間があるのかなあっていう。
待ってればそのうち本体の価格も下がるだろうしなあ……っていう計算も働いちゃいますしね。うーむ。


明日は自転車に乗ろうかなあ、って思っている。
あまりにも運動しないせいで、足がだるくて辛くなってきた。
一応今日簡単に整備はしたんだけど、明日の俺のモチベーションがどっちに向いているかね。

プロフィール

もん

Author:もん
人に怒られたり比較されたり負けたりするのが苦手で、そこから撤退を繰り返したら今の生活に。追い込まれたというより、自然にこういう生活に入ったので、自分では長めの「休養」と思っていたけど、世間一般の尺度では立派なひきこもりでした。

私自身の変化を楽しもうと思っているので、支障のない範囲でなるべくリアルに綴るつもりです。

私自身は、ひきこもりの自分を肯定することが、社会の中に再び入って行くために必要なことと思えています。自分や社会を肯定できる感覚・・・のような。
一進一退だけど、着実に、自分を肯定できる気が、してきてはいます。
これからも頑張ります。

萌え歴10年選手。
もっと萌えていたい萌えオタク。

ブログ村 ひきこもり

ブログ村 半ひきこもり

FC2カウンター

検索フォーム

ブロとも申請フォーム

QRコード

QR
↑
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。